元読者3人からなる「月刊OUT勝手連」が、当時の編集部員やライターなど、雑誌にかかわった方たちへのインタビューを通して、18年にわたる雑誌の歴史を振り返ります。
公開日:2026年5月6日
だいぶ大きな流れの話をしていただいて、とても面白かったんですが、実はまだまだ細かい話で聞きたいことがたくさんありまして。当時の読者として、これはどうだったんだろう、みたいな話なんですが。
いいですよ。覚えてる範囲で。
漫画雑誌じゃないにも関わらずいろいろな連載漫画の担当をされていたかと思うんですけれども、実は私たちは少し前に、力押し三五郎さん[68]のインタビューをしていてですね。
彼、元気ですか?
はい、元気で木工職人をなさってます。
アニメ雑誌の編集者として、漫画雑誌じゃないんだけれども、そういういろいろな漫画家さんたちと漫画の編集者という形でお付き合いをしているていう部分について、当時の思いなどがあれば教えてください。
ひとつ言ってるのは、漫画に対する編集の意見は、OUTの後半はあんまり入れられなかった。ラフチェックとか原稿チェックで、「こうしたら」とか「これはないんじゃない」とか、そういう意見・要望までやるのは、2人体制になって以降は、ちょっと無理だったな…っていうのは残念だけどね。ただ、ストーリー漫画がほとんどなかったから。『ロック』に関しては聖さんの方が早めに原稿をくれていたので、「これでいいでしょう」と。聖プロのデスクの方がいて、その人と打ち合わせって形で毎月やってたりはしたんですけどね。こちらからこの内容は、とかって話はあんまり言わなかったような気がするんだけどな。
内容的なやり取りがあったのは、'90年よりも前の時代かな。みんだなおさん[69]が描いてた頃は、編集としての意見を言って、彼の気分を害したとかもありましたけどね。
そうそう、みんだなお先生のはなかなか強烈なものがありましたしね。
みんださんはね、強烈すぎて、これはやばいよっていうのがあってね。あれはまだ大徳さんがいた時だから、相談して、大徳さんから言ってもらったりして…大徳さんもこれ載せられないって(笑)。
みんださんの漫画で、アニメスタジオから呼ばれたこともあったな。「あれは止めるべきだったよ」って。
どこどこだったらOVAを安く作ってくれるって言っちゃったやつ[70]。
ありましたね。これだけお金を持っていけばOVAを1本作ってくれるよっていう強烈なネタが。
僕はあの回は担当でなかったんだけど、あれはやばいなと思ったら、案の定やばかった。
三五郎さんがおっしゃってたんですが、漫画を描いたことがなかったから、ストーリーは自分でやったんだけど、作画の方法とか画面構成とかそういうのは、赤が毎回入って、それを元に覚えた、と。
三五郎さんに関しては、僕はお手伝いだけです。あれに関しては大徳さんです。僕は最初の企画を見て、大徳さんに付随するって感じです。あれはCさんは見てたのかな。わかんないけど、最終的な赤を入れたのは大徳さんだと思います。[71]
だから漫画編集に関しては、物語の企画段階からストーリー含めてお話したってことはなくて、こちらの意見はない。チェックというのが、本当にどのくらいのプライオリティなのかって言ったら、あまりないわけで。聖さんからお話を聞いた時に、「それ面白いですね、じゃあ具体的にしましょう」的な話はあったような気がするんだけど。それ以降に関してはもらってきたところを確認して、漢字はこうしましょうとか、最後のネームが上がった時に、漢字の変換とかカタカナとかルビとかはこちらでチェックする形にはなってたけど、コマ割りとか絵のサイズとか、そういうのはしてないな。
だから一通りの漫画ができるまでの流れは知ってるけれども、実際にアニメの企画、または漫画の企画から制作となると…いわゆる漫画誌の編集と違うのはそこじゃないかな。
みづぼし巽さん[72]とかもそうだったんですか?
みづぼしさんはね、ストーリーに関しては話した気がするな。懐かしいな。
「CHAKI・CHAKI HOUSE ちあき&鷹のにょろにょろトーク」。'89年6月号から'93年2月号まで。シンガーソングライターの小笠原ちあきと作家の波多野鷹の掛け合いトークのコーナー。「いい加減をモットーにアウト読者に受けそうもないことをあえてテーマに選ぶ」というコンセプトで、OUTに似合わぬポップでおしゃれな香りを漂わせながら、少女漫画・小説業界の裏話なども飛び交うという、不思議なページだった。
小笠原ちあきさんの『にょろにょろトーク』っていうコーナーがありましたが、あれは南波さんが担当だったんですかね。
うん、僕が担当してました。
僕が読者で読んでた時にあのコーナーが不思議だったんですね。OUTの誌面の中で少し浮いてて…それはわざとやってるんだろうなと思ってたんです。
そう。小笠原ちあきさんって全然OUTっぽい人じゃないよねっていう感じ。ひょんなことで知り合ったんだよね。あの方は、漫画家の成田美奈子さん[73]のいとこなんです。で、確か成田さんと知り合う過程で出会ったんですよ。
うちで漫画を紹介しようとしてた時代…『CIPHER』の時代かな。あの当時、僕もイスラムにちょっと傾倒してたところがあって。成田さん、イスラム系のことを漫画に描いたりしてたでしょ。『エイリアンストリート』に出てきたり。
そうですね、ムスリムの青年が出てきて。
そんなことで、小笠原さんがやってみたいことがあるっていう話をいただいて、それで実現したんですよ。あとは、『ひらけ!ポンキッキ』[74]も関係してるんだ。彼女は確かあそこで作詞してたんだよね。あの方は、『サイレントメビウス』[75]に詞を書いたりもしてるよね。だからレコード会社で会ったのかな。その辺りはあんまりはっきり覚えてない。
『にょろにょろトーク』は'89年6月号から始まって、'93年2月号までですね。
だからこの時代ですよね。『CIPHER』の連載は'90年までか。
後半はもう『ALEXANDRITE』が始まっていた時期なんですね。
じゃあ、こういうページにしたいっていう企画自体は、小笠原さんの持ち込みだったんですね。
そうですね。小笠原さんだったはずです。そうじゃなきゃ、あんな変わったことにならないよね。だからお任せできるのはお任せしちゃったところがあるんじゃないかな。
その後も、小笠原さん、突撃インタビューっていう企画のページ[76]を連載されたりして。
そうそう。インタビュアーもやってみるって。あれもいい企画だったから、お願いしたのかな。
すごく人脈が広いですよね。
成田さんの作品のイメージアルバムを作る過程で、レコード会社の方と仲良くなってっていう、そういう流れじゃなかったっけな…。その後もう会う機会がなかったからな。
「吾妻ひでお マンスリーギャラリー」'94年3月号から'95年5月号まで。過去の作品に登場した女性キャラクターたちを一言解説つきで描く。
八代まさこ「ミチのスケだけど…?」'94年7月号から'95年5月号まで。愛犬ミチのスケとの交流を描く日常系ほのぼの漫画。
またちょっと細かい話なんですが、『超人ロック』もそうなんですけど、南波さんが編集長をされている頃に、吾妻ひでおさん[77]と、矢代まさこさん[78]の日常系の漫画を連載しています。そういうレジェンドの人たちを持ってきたっていうのは?
吾妻さんは、失跡して配管屋さんをやってて、それで戻ってきた時に「復活したんだよ」っていう話があって、どなたかの仲介でお会いしに行ったんですよ。吾妻さんは元々は、Eさんが担当だったんですよ。
あれも紹介されて、「やりましょう」っていう話に、即決したような記憶があります。だからお会いはしてはいるんだけど、その後は普通のやり取りしかしてないな。1ヶ月1ページですけど、吾妻ひでおワールドが出てたのが良かったなと思います。全集が出ちゃったんで、不条理作品とはちょっと違うけど。吾妻さんは面白い人でした。
アニパロとかそういうのが載ってる中に、ポツッとそういうレジェンドが載っているのが、またこれもOUTっぽいなと。
印象的だったですね。八代さんの『ミチのスケだけど…?』は、やっぱり読んでこれはいい漫画だと思いましたもんね。
そういう感じを持ってもらえればね。
ええ、よく覚えてます。
また別の話で、椎名へきるさん[79]が表紙の号っていうのがありますね('94年9月号)。
はいはい。
OUTの表紙の中でこういう写真がぼんと出てくるのは、これだけなんです。
そうですね。これはね、僕じゃなきゃオーケーしなかった。この企画を持ってきたのは、小林くんなんだよ。
そうなんですか。「この表紙、やりましょう」と。
そうそう。へきるさんと仲良くなったって話をもらって、それでうちでもタイアップしますかって。普通はやらないよね。でも、オーケーしちゃったんだよね。
これに関しては小林くんは別な思いもあったんだろうけど、僕としては人物写真の表紙の本をやってみたいっていう、もう、わがままです。スタジオを借りて、グラビアっていうか、いわゆる人物撮影、あれをやってみたいという。MEGUでもやったな。スタジオ撮影ってね、面白いんですよ。カメラマンで、中島さんという方がいて、そのカメラマンさんの撮影を見るのって面白くて。声優ブームは、まだこの後なんだけどね。だから、色々やってみたいっていう中の一つの表れだったんですよ。
これも、アニメの表紙の流れの中にいきなり声優のグラビアが来るっていうのが、OUTっぽいなと思いました。
これも当時を思い出すと、「いきなり(この表紙は)変ですかね」なんて話を小林くんがしてて、「いやいやいや、OUTだよ」って言ったような気がする。ほとんど気にしなかったのは、やっぱりそういうところだよね。何せ僕が読み出したOUTってさ、あの目から光線出てるやつ[80]だからね。
創刊号から読み出してるんですか。それはすごい。
そう。創刊号を読んで、2号を読んでっていうね。ヤマトをやってるところは読んでたんですよ。大学生ですから。で、「変な雑誌だ」っていう風な思いでいた。初期は変さの加減がすごかったからね。
だから、何をやってもいい、という思いでいたのはそれだったんだけど、僕が編集部に入るあたりには、アニメ誌としての体裁は整えなきゃなっていうふうにはなってきてたかな。アニメ大賞の主催になってたりしてたからね。
はい、その話もちょっとお聞きしたかったんですけど、大徳さんのインタビューでそれを始めた経緯が出てきて。7回ぐらいまでアトム賞(日本アニメ大賞)[81]っていうのをやってるんですよね。でもそれが、そこで終わっちゃったんですかね(第7回は1990年)。
アトム賞に関しては、結局は秋田書店も近代映画もお金を出せなくなって…当然、みのりでお金を出すなんて無理なのでね。
それで'92年から、勝手にOUTで賞を作りました、みたいな感じで読者の投票で賞を決める「アウトアニメーション大賞」[82]っていうのをやって。
そうそう、勝手連っていうのが流行った時だっけな。あれはやっぱり狭間だったのかな。集英社とか小学館とか講談社とかを含めた日本アニメ大賞的な、アニメジャパン[83]みたいなものになって行くのはもっと後だからね。
井上さんの本に書かれてましたね。
そうそう。5社も組んで。だから徳間書店はアニメグランプリ[84]をよく続けたよって思いますよね。
アニメ大賞を発表できないんだったら、OUTはOUTだけのものをやろうかっていう話をした覚えがあります。確かそれでやったんじゃないかな。
もうひとつ、あの当時、宮崎勤事件[85]というのがありました。
あれはショックでした。
あれは'88年から'89年にかけて起こった事件で、確か'89年8月号の「アイドル伝説えり子」[86]の表紙が、あの犯人の宮崎勤の部屋の中っていう画面にテレビで出たんですよね。
あれはね、もう大憤慨でした。抗議の手紙・説明文を新聞各社に送ったんです。だってあの画像って、実はああいう状況じゃなくて、あの部屋に突入したカメラマンが(OUTの表紙を見えやすいように)動かして撮ったんですよ。要は、オタクっぽい絵が載ってたのはうちだけだったのかもしれないけど、ちょうどいいっていうので、一番上にされちゃったらしいんですよ。…っていう話を僕は後で聞いて、「おいおい!」では済まなくてさ。
ただ、実際はあれの影響はほとんどなくて、あれで部数が落ちたとかはなかったです。だから、あれはある意味で笑い話です。事件の方は全然笑い話にならないんだけど。OUT自体への影響はなかった。抗議が来たとか、不買運動が起こったってことは聞いてないです。どこかで起こったのかもしれないけど、僕は直接は聞いてないですね。
世間一般では、オタクバッシングの象徴にもなりました。
オタクバッシングは全体としてあったので、そういう影響はあったかもしれないけど、直接OUTがどうこうとか、それはなかったな。ただ、アニメ会社に行ってもレコード会社に行っても、その話題をされた(笑)。最初はさ、「映ってましたね」って言われて、「何?」と思ったんだけど、「ああこれか」って。あれは報道で出た翌日かな。そんな記憶があります。
実は僕、その時に編集部に見学に行ったんです。それでちょうど僕が行った時にNHKから電話がかかってきて、それをYさんが取って、「来た来た、NHKの社会部!」って叫んでたのをすごく覚えてます。
そうか、そんなことあったか。覚えてないってことは、その時間には僕はいなかったのかな。
その時はいらっしゃらなかったかもしれないですね。
あの時はYさんが編集長だったから、矢面に立ってくれたのかもしれないね。宮崎事件か。あれはいやな事件だったよな。
そうですね。当時オタクと呼ばれた人たちはみんな苦しんだと思うんですが。
変なところで広がっちゃったよね。さっきの吾妻さんの話じゃないけどさ、ロリコンがどうこうとか、その5年ぐらい前に言ってて[87]、それはある意味で冗談だったからね。それが冗談じゃ済まなくなったのかって。それこそフィクションと現実の境がわからなくなる人間っているんだなって思ったりしましたね。だから、宮崎事件に対するショックの方が大きかったのか、あの時の記憶はあんまりないというのが正直なところですね。
正直に言うとさ、OUTを潰して申し訳ない、なんだよね。だけど、あそこまで続けて、あの中で遊んでくれた人がたくさんいれば、それは嬉しいよね。
こちらとしては、本当にOUTを続けてくださってありがとうございますという感じですよ。
あれはね、小林くんの力も大きいので。彼も元々強い子だったけど、やめないでいたのは、やっぱり彼も面白さを感じてくれてたのかな。
小林さんは、「自分は勝手にやってて、だから南波さんが大変だったんじゃないかと今になって思う」というようなことをおっしゃってました。
それに関してはね、彼の持ってる面白さってのがあって、それが出ていればOUTの面白さは残るかなとは思ってたから、わりかし自由にやっても構わないと思ってたっていうのが僕のスタンスかな。「変にコントロールしてもな」とも思ってたしな。編集長らしくない編集長だよね。
質問というよりは感想と言いますか…僕はHEGEのコーナーにずっと入っていた読者なんですけれども、やっぱりスタジオ・ライブのページとHEGEのページをずっとやっていただいたのは、個人的に本当にありがたかったですね。それで救われたみたいなところがあります。小林さんのお話と南波さんのお話を伺って、今振り返ってみると、OUTは本当にずっとOUTだったんだなと、しみじみ思いました。
いや、そう思っていただけると嬉しいというか、ありがたいですよ。
自分にとって、成人してからの人生の始まりのあたりにちょうどそれがあって、色々とそこから始まったものもあったなと思うので、本当にとても感謝してます。今日はありがとうございました。
とりとめもない話なので、こうやって記録に残してくれる方がいると、嬉しいです。
(了)
[68] 力押し三五郎 : 漫画家、元投稿者。月刊OUTでバイク漫画『鬼屋繁盛記』を連載('87-'88年)。詳しくは本サイトの力押し三五郎さんインタビューをご覧ください。
[69] みんだなお : 漫画家。OUTでは'84年-'88年頃にかなり過激なアニパロ漫画を発表していた。ミンキーモモの姿をした悪役が撃ち殺される凄惨な描写などが忘れがたい。
[70] OVAを安く作れる : 『魔法少女アンイーちゃん』('87年11月号)。手抜きの国からやってきたアンイーちゃんが、OVAの作り方として「〇〇円を添えて〇〇社に持っていけば簡単」などと指南する、危険なネタ。
[71] 赤を入れたのは : 本サイトの力押し三五郎さんインタビューによるとNさんからも技法をいろいろ教わった、とのこと。
[72] みづぼし巽 : 漫画家、常連投稿者。アニパロ、オリジナル漫画など多くの作品をOUTに寄せながら、投稿コーナーにも投稿していた。『スタジオ・ライブのライブDEずっぽ〜ん!』では芦田豊雄によるみづぼし巽のインタビューが掲載されている('92年10月号)。 "
[73] 成田美名子 : 漫画家。『エイリアン通り』などで人気を博し、この当時は『CIPHER』、その続編『ALEXANDRITE』と連載が続いていた。「ムスリムの青年」は『エイリアン…』の登場人物(セレム)。
[74] ひらけ!ポンキッキ : フジテレビ系列で放送された子供向けテレビ番組。'73年-'93年。ガチャピン、ムックというメインキャラクターで人気を博した。日本のシングル盤売上1位の『およげ!たいやきくん』など多くのヒット曲を出したことでも知られる。
[75] サイレントメビウス : 麻宮騎亜による漫画作品。'88-'99年。'91年、'92年に劇場版アニメ化、'98年にテレビアニメ化。
[76] 小笠原ちあきの突撃インタビュー : '94年5月号から始まる連載インタビュー。わかつきめぐみ・楠桂・めるへんめーかー・水木一郎・石渡治など多彩なゲストとのほぼタメ口の会話が楽しい、七色の人脈が発揮されたコーナーであった。
[77] 吾妻ひでお : 漫画家。代表作に『やけくそ天使』『不条理日記』『失踪日記』など。'70年代末には大友克洋、いしかわじゅんとともに、SFマンガのニューウェーブ御三家と呼ばれた。月刊OUTでは'78年8月号特集『吾妻ひでおのメロウな世界』 がある。'89年・'92年と失踪し、のちにそのことを「失踪日記」に記す。2019年逝去。
[78] 矢代まさこ : 漫画家。'60-'70年代に人気を博した。代表作に『ようこシリーズ』『ノアを探して』など。萩尾望都など多くの作家に影響を与えた。OUT'94年7月号には霜月たかなかによる気合いの入った紹介記事が載っている。
[79] 椎名へきる : 声優、歌手。'94年『魔法騎士レイアース』獅堂光役など。歌手デビューも'94年。'94年9月号ではOUTの歴史で唯一、声優として表紙を飾っている。'94年3月号から連載の手書きのエッセイはほとんどカオスであった。
[80] 目から光線 : 「目からビーム」の表紙で有名な月刊OUT創刊号は'77年5月号。翌6月号は伝説の『宇宙戦艦ヤマト』特集号。
[81] 日本アニメ大賞 : 1984年から1990年にかけて行われたアニメ賞。『アニメディア』『ジ・アニメ』『マイアニメ』『月刊OUT』『アニメック』の5誌が共同して主催した。手塚治虫を選考委員長とし、日本アニメ大賞は劇場作品を中心とし、アトム賞はテレビシリーズを対象としていた。
[82] アウトアニメーション大賞 : '92年から始まる読者投票による賞。'93年2月号では「その名の通り果てしなくいいかげんで権威のない賞であります」と書かれている。発足理由は「酒の勢いで、ついカッとなって」。
[83] AnimeJapan(アニメジャパン) : 2014年から開催されている大規模アニメイベント。それ以前に行われていた東京都主導の「東京国際アニメフェア」(2002年から)と角川書店やアニプレックスが企画した「アニメ コンテンツ エキスポ」(2012年から)が合体する形で誕生した。この経緯は前述の井上伸一郎の著作に詳しい。
[84] アニメグランプリ : アニメージュが主催する日本のアニメーション作品を対象とした賞。
[85] 宮崎勤事件 : '89年に首都圏で起きた連続幼女誘拐殺人事件。犯人(宮崎勤)の部屋に多数のアニメ作品の録画ビデオテープがあったことなどから、社会的にいわゆるおたく・ロリコンへのバッシングが生じた。この部屋の模様が報じられた際にエロコミックと並んで月刊OUTの表紙が映っていた。
[86] アイドル伝説えり子 : 葦プロダクション制作のアニメ作品。'89-'90年。実在のタレント田村英里子とタイアップして制作された。キャラクター・デザインはスタジオ・ライブ。
[87] ロリコンがどうこう : 吾妻ひでおや内山亜紀作品、また『魔法のプリンセス ミンキーモモ』などをはじめとする美少女ブームのキーワードとして「ロリコン」という言葉がよく使われ、ブームの盛り上がりは'82年前後。なお'80年12月号、米澤嘉博の漫画についての連載評論「病気の人のためのマンガ考現学」で使われたのが、商業誌での初出である…らしい。