月刊OUTって、何だったのかな? 月刊OUTって、何だったのかな?

かつて「月刊OUT」というアニメ/サブカル誌がありました。
元読者3人からなる「月刊OUT勝手連」が、当時の編集部員やライターなど、雑誌にかかわった方たちへのインタビューを通して、18年にわたる雑誌の歴史を振り返ります。
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大徳哲雄さん第2回( 1 | 2 | 3 | 4 | 5 )
インタビュー:大徳哲雄さん 第二回(その1)
大徳哲雄さんは'80年代始めから半ばまでの月刊OUTの名物編集長です。反響が大きかった前回のテーマ「硬派なOUT」に引き続き、今回は「過激に面白いOUT」についてお話しいただきました。後半は居酒屋に場所を変えて、なごやかな雰囲気でのインタビューとなりました。
略歴
東京都出身。1978年にみのり書房入社。1980年より1987年まで月刊OUT編集長。誌上での名前は「T」。1989年に編集プロダクション「樹想社」を設立。2023年より同社取締役会長。江戸川大学マス・コミュニケーション学科客員教授(2007年~2012年)。立教大学文学部 文芸・思想専修非常勤講師(2012年~2018年)。

(聞き手:OUT勝手連 SII/WH/KN、 イラスト:柳田直和)

インタビュー:2026年1月18日
公開日:2026年4月4日


サブカルとパロディ
「アニメ・漫画とお笑いを結びつける方法がパロディだった」

前回から1年ちょっと経ってしまって…こんなに間を空けるつもりはなかったんですが。

いや、別にいいでしょ。

前回は「硬派なOUT」というテーマでいろいろお聞きしたんですけど、今回は「過激に面白い」というキーワードで、過激な記事…アニパロもそうですし、他にも色々ありますが、それらについて当時の思い出とかお考えになっていたことをお聞きしたいなと。それでまず、この'78年10月号の記事なんですが、最初期のOUTの流れがおもしろおかしく書いてあるんです。

「さらば宇宙戦艦OUT 受(ウケ)の戦士たち」航宙日誌
  '78年10月号。'77年の創刊号から'78年9月号まで各号の特集や編集部の動向と売れ行きを短くまとめた秀逸なパロディ記事。
'77年3月 OUT発艦 金田一戦線大敗
4月 ヤマト戦線逆転大勝利
5月 B級映画戦線惨敗
6月 ロック戦線中敗(※音楽のほうです)
7月 ヤマト・SF映画戦線逆転大勝利
8月 発禁レコード戦線大敗 風雲波高し
9月 東京12チャンネル戦線辛勝
10月 超人ロック戦線大勝利 艦長B戦死(※初代編集長のこと)
…など。

いま眺めてみると本当にサブカルチャー専門というふうに見えるんですけど、当時はそういう媒体は全然なかったと。

そうですね。ないですね。

それでこの記事を見れば、いわゆる硬めのサブカルテイストの号というのは確かに全然売れなかったんだなって思うんですが、でも、いろんな方の話を伺っていると、創刊2号からずっと買ってるみたいな人も結構いらっしゃって。そうするとその人たちは、当時でも極めて少数派のセンスの持ち主だったんですかね。

そうですね。

大徳さんもサブカルには興味があったって前のインタビューでおっしゃってましたけど、その頃のサブカルってどんな感じだったんですか?

だからまさにいま、サブカルって、サブじゃないじゃないですか。どっちかっていうとメインになっちゃってる。あの頃は本当にサブカルっていう言葉も、そんなに通用してなかったっていうか、そもそもなかった。本当にごく一部の人たちだけが興味を持って面白がって語ったりするジャンルでしかなかったわけですよね。

これを見ればわかるように、OUTも別にアニメ雑誌ではなくていわゆるサブカルマガジンから始まったから、他のジャンルにいろいろ手を出して特集やったりしてみたんだけども、けっきょくヤマトの特集とか、アニメーションとか漫画関係の特集とか、そういう情報を中心にしないと売れないというのが、はっきりとしてきてしまったので、後のOUTがそういう方向性になっていったと思うんですよ。

それから今みたいにインターネットとかSNSもない時代じゃないですか。だから、出版とかジャーナリズム全体の中で、一般の人たち…民衆って言葉はあんま好きじゃないけれども、一般民衆の人たちの考えとか意見を発表する機会がほとんどなかった。ところがOUTの中では読者投稿欄というのがけっこう大きな位置を占めていて、その読者投稿欄に載っている皆さんの意見というのが非常に面白いし、かつ鋭いし、他では聞けない声というものが反映されていたんです。

雑誌は商業出版でやってるわけだから、当然ある程度売れなきゃいけないというところで、OUTがアニメとか漫画を中心に取り上げていくっていう編集方針になっていったと同時に、その読者投稿欄みたいなものを、どんどん強化していこうという方向性もあった。で、その読者投稿の内容の面においてもアニメーションとか漫画に関係することが増えてきた。それから読者投稿に関しては、パロディとかお笑いネタみたいなものがものすごく多かった。その後のOUTがお笑いとかパロディっていうものを取り上げていったっていうのはその2つですよね。

あとは時代ね。1970年代の後半あたりから、空前の「お笑いブーム」っていうのが起きてきたんです。お笑いの中でも、特に漫才っていうものが脚光を浴びるようになって、面白いお笑い芸人たちがいっぱい出てきた。そういうお笑いの感覚を雑誌として持ってたということが、OUTにとってはすごくプラスに働いた。

前のインタビューでもあったように僕もみのり書房に入って劇画誌をやって、そのあと『Peke』[1]って雑誌を創刊して、それがうまくいかなかったのでOUTに移籍したわけだけど、お笑いにはものすごく興味があったんですよ。これはサブカルとしての興味というのもあるんだけども…あんまり屁理屈をこねるつもりはないけど、お笑いというものが、サブカルと同様に、戦後の日本の大衆文化の流れの中で、すごく低く評価されていた。下劣とまでは言わないけども、あまり品のいいものではないっていうことで、すごく馬鹿にされてたんです。

でも一般大衆、一般の人たちは、笑いというものがすごく重要なものだということは、理屈でどうのこうのじゃなくて、わかってたと思うんです。そこで、アニメーションとか漫画みたいなそれまでサブカルと言われてたものが、どんどん高度な表現とか、たくさんの受け手の人を増やしていったと同じように、お笑いも発展していったんですよね。

それからパロディの問題というのがあって、アニメ・漫画というものと、お笑いというものを結びつけるいちばんいい表現方法が、パロディだったんです。で、あの当時ね、パロディに対して著作権がどうこうとか、原作の価値を貶めてるとか、そういうことにツッコミを入れる人たちはいなかったんですね。全くいなかったとは言わないけども、あまりいなかった。特にパロディ表現ってものに関しては、かなりゆるゆるだったんですね。それで、違うテーマの方に行っちゃうんだけど、いい?

ぜひぜひ、お願いします。

マッド・アマノのパロディ裁判っていうのが起こるんですよ(※'71年提訴・'87年に和解が成立)[2]。マッド・アマノっていうアーティストの人が、古今東西の名画みたいなものをパロディにして、それを自分の表現にするっていうことをやって、それが脚光を浴びて、裁判沙汰になって法廷闘争をやったりした。もちろん僕らはそれは横目で見ていて。最終的にはこの裁判は、どっちが勝った・負けたということではなくて、示談みたいな形で終わって、決着がつかなかったんです。

表現というものにはパロディ的な要素とかモノマネの要素とかがいっぱいあるわけで、それを、原作を勝手に利用して商売のネタとして使おうっていう人と、そうではなくて、原作に対してあるていど敬意を払ったうえで、違った形で表現するっていう、大きく分ければそういう2つの流れがあるわけで。そのへんで時代的にぐちゃぐちゃになっていた。

さっき言ったお笑いブーム・漫才ブームとほぼ同時期に、いわゆるものまね芸・ものまね芸人っていうのがすごく出てきて、それがひとつの芸のジャンルみたいになった。今でもものまねはなくなってないけど、当時のようにものまね芸人がスポットライトを浴びることはあまりない、というのは時代的な流れですよ。

だから、アニパロがいまインパクトを失っちゃったっていうのもあるんだけども、原作の著作権とかね、版権っていう問題が生じてきて、そう簡単に表現として許されるっていう時代ではなくなってしまったんですね。それぞれのテーマを突っ込んでいくと、また深掘りはできるんだけど、流れとしてはだいたいそんなところなんですよ。

そうか。お笑いブームとそういうアニメのパロディって、確かに実体験として思い返してみると同じぐらいの時代にあったんだなっていう感じですけど、あんまりそこを繋げて考えたことがなかったです。『お笑いスター誕生』[3]でコロッケが出てきたり、というのと並行してたんだなと。

お笑いってなんなのか
「笑いというのは庶民の武器なんです」

それからこれは僕個人の問題になるんだけども、OUTの編集部に入って、読者投稿欄とかパロディ特集をやってて考えさせられたのが、「お笑いってなんなのか?」っていう問題があるわけですよ。これは、ちょっと変な深掘りの話になって話がずれるかもしれない。

ぜひお願いします。

非常に難しい問題なんです。人類にとってお笑いって不可欠というか、パロディとかも風刺っていうことまで含めるとさ、ものすごく長い歴史があるわけですよね。だからOUTをやりながら、なんでこんなにみんなお笑いを求めるのかなと思って、文献を一生懸命探したんですよ。でもほとんどないですね。本当は哲学で取り上げていいテーマなんだけれども、「お笑いとは何なのか」っていうことを深く追求して、解釈として「なるほどな、これは最も妥当だな」という形で説明した理論的な本はないと言っていい。でも、非常に重要だと思うんです。

そこで、人間がお笑いっていうものを理論づけることができないのに、なんでこんなにお笑いをみんなが求めるんだろうかっていうことに、自分の考え方が移って行った。この前の話にもちょっと通じるんだけども、僕は学生運動やったり、反体制運動みたいなものが自分の根幹にあって、そこからもちろん離れちゃったんだけども…あの当時、僕がストレートに思ったのは、笑いっていうのは庶民の武器だっていうことなんです。

ナイツっていう漫才グループの塙っていう人が漫才協会の会長をやってて、この間たまたま見た何かのインタビューで、「私たちはお笑いは庶民の武器だと思ってます」って…まさに僕が、40年ぐらい前に思ってたことと全く同じことを言ってた。それで「なるほどね」と思ったんだよね。漫才師の人でも、そういう風に考える部分はあるんだなと。

どういうことかというと、一般大衆の人というのは、さっきも言ったように、自分の表現媒体とか表現方法って持たないじゃないですか。だから、雑誌とかテレビとか、そういうニュースに出るってことで意見を述べることができない。(仮にできても)対等に意見を提出できるかっていうと、それも権力構造・権力者とか権威とかというものから許される時代や状況だったら、庶民が批判をしても許されるんだけども、人類の歴史って大概はさ、そんな自由じゃないんですよ。権力に対して対抗しようって言った時に、武器を持ってないんですよね。

その時に庶民が考え出した、ものすごく効率的、かつ角の立たない抵抗の仕方が、お笑いだったと僕は思います。だから、あらゆる文化で庶民はそういうお笑いのジャンルを失わないで生きていくんですね。なぜかというと、権力に対して真っ向勝負で立ち向かって倒すってことは、よほどの革命的な勢力でもない限り無理じゃないですか。だけども、笑うことはできる、同じところまで行って、逆にそれよりも上に行って、笑い飛ばすことができるんですよね。その唯一の武器はお笑いだと僕は思うんです。

だから権威とか権力者というのは、お笑いってものがものすごく怖いんですよ。あらゆる文化で、風刺というものを禁じたりする時代ってものがあった。つまりお笑いの対象にされた時に、お笑いに対して権威とか権力者側も真っ向から対抗できないんです。だから、民衆のすごい武器だと僕は思うんです。ただ雑誌の中で、民衆の武器だなんてそういう生々しい理論的なことを言ったら、やっぱりダサいんですよね。あんまりかっこよくないし、必要もないので、それはしない。

笑いが成立しなくなっちゃう。

本当にそうなんです。お笑いじゃなくなっちゃうんですよ。だからそれはじっと心の中に秘めておきながら、お笑いとかパロディっていう手法は、権力とか権威ってものに対抗していく方法論としては僕らの非常に重要な武器だな、庶民の知恵として素晴らしいものだなって思っていたところはありますね。

笑い・ユーモアっていうのは、貶める効果があって、それがユーモアのかなり大きな要素だと思うんです。だからきっと、諸刃の剣ではあるんだけれど、権力に対してはすごく有効に使えるという。

うん。批判することもできるけど、批判すると刃が返ってくるじゃないですか。そこがだからお笑いとか風刺の強みだと思いますよ。もちろん風刺もさ、禁じられたり、検閲・抑圧されたりするっていうこともあるかもしれないけれども、そういうことをやるのは非常にダサくなっちゃうわけですよね。

2025年の大河ドラマ(「べらぼう」[4])がそんな感じのテーマでした。

だからその大河ドラマの主人公の、蔦屋重三郎なんてのは、その当時の権威とか権力に対するものすごくうまい対抗の仕方をしたわけですよ。僕はそのころ蔦屋重三郎の真似をしようなんて思ってはいないけれども、江戸の元禄期の戯作精神みたいなものにはすごく通じるものがあるなって、けっこう意識はしていました。ああいうあり方ってものがあるだろうなって、すごく思ってましたね。

時代とOUTの読者層
「中高生の人たちの感覚を評価したかった」

この号('80年7月号)にも、『恐怖のあにめぱろでぃ〜特集』って書いてあって、まずパロディという言葉から始まってるんですね。だからその当時、さっきのマッド・アマノさんの活動とか、山藤章二さん[5]の『ブラックアングル』っていう風刺絵のような、パロディ文化があったんだと思うんです。それで僕がOUTを読んでいて、パロディそのものではないんだけど感覚がすごく近いなと思うのが、山下洋輔さん[6]とかタモリさん[7]・筒井康隆さん[8]とかがやっていた、『全日本冷やし中華愛好会』っていう活動[9]なんです。その馬鹿馬鹿しさ、やってる感じは近いなと思いながら、でもその匂いはOUTに出てきてないなとも思って。時代が少し前だったということもあるかもしれませんが、そのあたりの意識はありましたか?

いや、それは単純にそんなに意識してなかった。

これは前回のインタビューにもちょっと通じるんですけど、この人たちのやっていたことは、全共闘世代に対して絶望しちゃった人たちが、「もうこれは笑いのめすしかないんだ」みたいなものだったのではないかと。

全くそうですよ。そういう意味では全く同じ。つまり、違う方法論を取った方がいいだろうなって思って、じゃあどういうやり方があるのかっていう時に、さっきも言ったようにパロディとかお笑いというのはすごく武器になりうるよなってところは思ってましたね。だから、筒井康隆とかそのへんが、そういう気持ちでやってたんだってことは、いま言われてみればわかるよね。ただ、それから直接的な影響を受けたかっていうと…。もちろんこの間も言ったようにSFファンではあったけど、そんなに意識したことはなかったですね。

僕が「これがあるかもな」と思ったのは、いま言った人たちって、みんなジャズの人たちなんです。ジャズって、大学生以降だと思うんですよ。

はいはい。

で、'79年の5月号のOUTで、これTさんが古谷徹さんにインタビューしてる記事[10]の会話なんですけど、「OUTのターゲットはいま、中高生です、大学生よりも中高生の方が数段パワーがある」ってTさんがそこで言われていて、つまりOUTの読者ターゲットは最初は大学生だったのに、その頃から、明確に中高生をターゲットにしていたのかなと。

それは思ってましたね。というのはね、全共闘的な若者のパワーみたいなものが、やっぱりものすごく打ち砕かれたんです。だから大学生以上の人たちは、どういう方向性で行ったらいいかわからなくなってるところがある。それでシラケ世代[11]の三無主義っていって、無気力・無関心・無責任って、若い人たちは、そういう無気力なんだっていう評価をされてたわけ。

ところがさ、そんなことはないんですよ。やっぱり若い人たちのパワーってものは備わってて、中高生の人たちっていうのは、全共闘的な、反体制がどうのこうのって、あんまり関係ないじゃないですか。それでそっちの方向性に行かないで、むしろお笑いの方向性に行ったところがあって、それは読者投稿なんか見てても、若い世代の人たちがそういうお笑いの感覚にすごく長けてる。全共闘世代みたいに真っ向から批判するんじゃなくて、それをちょっとずらした視点で対象にしてお笑いにすることによって批評するっていう、うまい方法論を使ってるんですよ。だから、どっちかというと大学生とか上の世代を狙うよりも、中高生の方の人たちの感覚を評価したいっていうところはありましたね。

次の世代に期待した、みたいな感じが…。

それはすごくありますね。だから庶民とか一般大衆のパワーってものは、どんなに権力や権威を押し付けようとしたって、若い人たちのところに出てくるんですよっていうさ。若い人たちの新しい動きって、それは大人世代から見たら、おかしなものはいっぱいありますよ。あるかもしれないけど、それを頭ごなしに否定する気持ちは僕にはないですね。

大徳さんはこのころ20代後半ぐらいですよね。そこから10歳かもうちょっと若いくらいの子たちに対して、そういう風なことを…。

思ってましたね。はい。

なるほど。その子たちは批判精神っていうのは持ってたんですかね。

持ってたと思いますよ。持ってたと思うけど、前の世代の人たちがあまりにも過激に正面切って戦っちゃったので、それに対していろんな意味で反作用が強いんだっていうことを、彼らは新たに実感してるわけじゃないですか。だから、無意識に違う戦略を取っていったんだというふうに思いましたね。

そうでしょうね。「ちょっと上の世代のやってることはダサいな」って、自然にそうなる気がしますよね。

アニパロの始まり
「とにかく読者に負けたくなかった」

ここからアニパロの方についてお聞かせください。もともと創刊直後、2度目のヤマト特集('77年9月号)にヤマトの裁判みたいなパロディ漫画[12]が載っていて、それはすでにアニパロであるとも言えそうですが…。言葉としては、'80年3月号に、「アニパロ」っていう言葉じゃなくて、「ガンダムパロディ」[13]っていう言葉が最初に出てるんですよ。だからパロディっていう概念はあったんだけど、まだ最初は「アニメパロディ」っていう概念も言葉もなくて、まず「ガンダム」、それで「パロディ」だったんだなと。前回もちょっとお話しいただきましたけど、このあたりの背景などお聞かせいただけないでしょうか。

何度も言うようだけど、そのヤマトの特集というのをOUTがやって、すごく売れたわけ。で、他のサブカル路線のテーマにすると売れない、またヤマト特集したら売れたと。それでこれからはヤマトのブームというよりも、ヤマト以外のアニメーションの受ける作品っていうのがパロディの対象になるだろうなっていうことは、ある程度は思ってました。

それに続いてガンダムもバーッと出てきて、アニメーションでもガンダムだけじゃなくて、他にいろんな、人気・魅力のある、ヒットした作品がすごく出てきてて、それらを題材にして遊ぶことができるような時代状況になって、たまたまそれとリンクした、と僕は思いますけどね。

ただね、パロディにされる側の人たちの心情もあるわけです。法律的にどうのこうのってことは、あの当時はあまり追求されなかったけども、やっぱり自分たちが作った作品が正当に理解されるんじゃなくて、ちょっとずれたところから笑いの対象になることに対して、いい風に思って好感情を抱く人と悪感情を抱く人っていうのがすごく分かれたわけね。

それで、マッド・アマノの問題もそうなんだけど、どこまでパロディとして許されるか許されないかっていう、その境界線の問題ですよ。そういう境界線をきちっと引けるのかって言ったら、引けないんです。引けないけども、雑誌だから、常に表現していかなきゃいけない、どこかで決断してやらなきゃいけないわけで。で、僕たちは、作り手の人たちが悪感情を抱かないようなギリギリのところまでやっていこうと。だって、そこまで行かないと面白くないんですよ。生ぬるい、インパクトがないパロディっていうのは本当に面白くないので、どこまでできるかなっていうところまで、挑戦していきたいって思ったし。

パロディそのものに対して批判的な考え方ってのはあるのかもしれないけど、どんな芸術だって、最初はみんなモノマネから始まるじゃないですか。自分が例えばあるアートみたいなものが好きになって、それを模写するっていうところから始まるわけで。その模写をしてるうちに、自分なりの表現を加えていくと、パロディ段階って必ずあると思うんですよね。そこを否定しちゃったら、もうあらゆる表現って成り立たなくなるから。ただ、どこからどこまでが原作の権利を持っていて、どこからどこまでがそれを模倣したものなのに中心に置かれるのかというのは、微妙な問題だからさ。そこはね、すごく考えましたね。

その境界線の問題というのは、さっき言ったお笑いとはなんなのかっていうことが理論化できないのと同じように、どこからどこまでパロディとして許されて、どこからは許されないのかっていうのは、今でも理論的に解明されてないと思いますよ。

それでガンダムに関しては、この前も言ったけど、たまたま編集部でガンダムの第一話を見て、びっくりしたんです。こんなすごい作品が、子供向けのロボットアニメという形で放映されるんだと。これは絶対にヤマトの代わりになるって確信しました。だから当然、パロディの対象になるだろうなって思いましたね。

それでそんなことを僕が予想するまでもなく、読者投稿の中でガンダムネタってのはものすごく増えてきた。それだけガンダムがたくさんの人に観られて、パロディの対象になっていったんです。読者の人たちはまだ若かったから、その作品に対していいの悪いのっていうことを論理的に表現するっていうんじゃなくて、パロディという形で、ある種の批評行為みたいなものをやっていて、それが非常に鋭いじゃないですか。下手な理論的なものよりもよっぽどインパクトがある。だから、じゃあその力をうんと取り上げていこうよと。

と同時にね、並行してアニメってものが成立してアニメ誌が登場してきて、OUTはアニメ誌ではなかったわけですから、情報量においてアニメ誌にかなわなくなったんですよね。正統的な普通のやり方でアニメの情報をOUTに載せることのスペース的な限界があったから、アニメ誌とは違う方向性でOUTを作っていかないとまずいだろうなって思っていたわけで。その時にアニメパロディとかガンダムパロディっていうのが対象になっていったというか、そういうふうに考えるようになったんです。

だから思い切って、作品の特集をやるっていうのではなくて、アニメパロディの特集をやろうじゃないかと。で、アニメパロディの特集も、それはガンダムがメインになると思うんだけども、それ以外の、ヤマトも入れてもいいし、他の作品を取り上げたパロディで面白いものがあるんだったら、それをアニメパロディっていう形で一括して取り上げてみようって、特集を組んだんです。それがこれ(’80年7月号)。

「恐怖のあにめぱろでぃ〜大特集」('80年7月号)。吾妻ひでおの『未来少年コナン』のパロディ漫画のほか、ゆうきまさみの「ざ・ライバル」に続く再登場、阿保式蘭丸の小説「デスラー自伝 我が闘争」、留止&佐藤志生によるガンダムBL小説、浪花愛のパロディ漫画初登場、など。

そうしたらこれが、ものすごく受けたんです。受けたと同時に、これはもうOUTじゃなきゃできないっていうことになった。だから、アニパロが成立して、他のアニメ雑誌さんたちもアニメパロディみたいなものを、ちょこっと載せるようになったんですよ。だけども、こんなこと言ったらあれだけども、OUTのインパクトには、やっぱり敵わないんですよね。だからそういう意味で、アニメパロディがOUTの特色のひとつになっていったっていうところはあると思います。

それで雑誌も、アニパロ特集をやるとすごく売れたんです。ガンダム特集も売れたけど、あの当時、やっぱりガンダム特集かアニパロ特集なんだよね。そういう流れになっていったっていうのもあるし。(’82年2月号を手に取って)それでいちばん盛り上がったのはこのあたりだよね。

で、その読者投稿のアニメパロディみたいなものもすごく面白かったけども、編集部の方でも、じゃあアニパロを積極的に載せていこうということで、何を思ったかっていうと、読者に負けたくないと。読者がすごい面白い投稿をしてくるわけじゃないですか。それを超えるようなとは言わないけど、それに負けない面白さを持つ感覚の記事とか特集を打ち出していこうじゃないかって常に考えていたところはありますね。

とにかくね、読者に負けたくなかった。読者の意表をついてやろうと。読者はここまでは考えないだろうなっていうところを狙ってやろうっていう部分はすごくありました。

読者がどんどん追いすがってくるっていうか、食いついてくると。

さっきおっしゃっていた「他のアニメ誌でもちょっとアニパロっぽいのがあったけど、面白くなかった」っていうのは、僕は編集部のセンスの差なのかなと思ったんですけど、実は読者側のセンスの差なんですかね。

どっちかというとそうだと思う。だから単純に他の雑誌がやったアニパロ特集を、読者が面白いって言わなかったんだと思いますよ。

そのへんはやっぱり雑誌の出発点が違ったからですかね。

それもあると思いますよね。だからみんな真似しようと思っても真似できないわけですよ。

そういう読者がついてくれてたわけですね。

そう、そういう意味では、もう完全に読者の方が先行してましたね。それで僕らが追いついてやろうと。追いついたあとに読者を超えるようなインパクトのある企画を打ち出そうじゃないかっていうことに知恵を絞るようになっていったところはありますね。

そうすると、だんだんラジカル・過激になってくるじゃないですか。すると、最初に言った問題の、パロディにされた側の人たち、作り手の会社とかそういう人たちがどういう風に思うかっていうことがあるわけですよ。パロディにされて喜んでくれる人たちもいるし、なんでこんなパロディにするんだって思う人もいるわけだから、その軋轢っていうものも当然生じてくるわけですよね。それはやっぱり苦慮した、頭を悩ませたところでもあるんです。

だって、あまりにもパロディの表現がきつかったらさ、「なんでこんなことやるんだ、もうお前のところには次に情報出さねえぞ」って、思う人たちもいるわけじゃないですか。そういう風に思われないように、基本的には、その作品に対する敬意とか愛情があったうえで遊んでるんですよっていうことが、作り手の人たちにも伝わるように、やっていきました。だけど作り手の側の人たちは、それを理解してくれる人と理解してくれない人に別れましたね。

だから、サンライズの作品がなんでOUTでそういうパロディの対象になったかっていうと、サンライズさんはそういうものをすごく受け入れてくれて、理解を示してくれたんですね。だから僕らも、調子に乗って、じゃないけどさ、そういうふうに一緒に面白がってくださるんだったら、もっともっと自由にやらせてもらいますよ、って、ガンガンやってた。そうじゃない作品っていうのは…特にジブリ系統とか、これ言っちゃっていいのかどうかわかんないけどさ、あんまりいい感じを持たれなかった制作会社の人たちについては、あまり刺激しないように緩やかにやってたみたいなところはありますね。

『悩ましのアルティシア』[14]に関しては、この間も言ったけど、あまりにも取り上げられちゃってるんで、僕としてみれば『シャアホイホイ』[15]とかのラジカルさの方を評価してほしいなっていうのもあるんですよ(笑)。 あれだってさ、『ゴキブリホイホイ』を出してるところにしてみれば、「なんじゃこりゃ」みたいなところがあるじゃないですか。でも、クレームがつくかつかないかのギリギリのところまで狙ってやってるわけです。で、あれが訴えられたらもうおしまいですよ、みたいなところもあるんだよ。それはサンライズからも訴えられるかもしれないし、『ゴキブリホイホイ』を出してる会社からも訴えられるかもしれないし、そういう、恐怖感というかドキドキ感は常に付きまとっていましたね。で、もしそうなった時には理論武装しなきゃいけないなとは、思っていましたね。

→ その2につづく

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大徳哲雄さん第2回( 1 | 2 | 3 | 4 | 5 )

[1] 月刊Peke : みのり書房発行の漫画雑誌。1978年9月号から1979年2月号まで。吾妻ひでお・いしかわじゅん・ひおあきらなどの作品を掲載。

[2] マッド・アマノ事件 : 写真家 白川義員の作品を、コラージュ作家マッド・アマノが合成・加工し、風刺的なフォトモンタージュとして発表・掲載したことから争われた訴訟。アマノが使用した写真がパロディ表現としての許容範囲を超えた著作権侵害にあたるかが問題となった。訴訟は最高裁まで進んだが、最終的には控訴審で和解により終結した。

[3] お笑いスター誕生 : 日本テレビ製作のお笑いオーディション番組。'80-'86年。司会は山田康雄と中尾ミエ。おぼん・こぼん、とんねるず、シティボーイズ、ウッチャンナンチャンなどを輩出。ものまね芸人のコロッケは同番組で6週勝ち抜き、以降テレビなどで活躍するようになった。

[4] べらぼう : 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』2025年放送のNHK大河ドラマ第64作目。主人公は喜多川歌麿や東洲斎写楽を見出した江戸のメディア王こと蔦屋重三郎。浮世絵や滑稽本、川柳や狂歌といった江戸町人文化の全盛期を描く。松平定信の「寛政の改革(1787年)」による質素倹約の奨励と娯楽の取り締まりに対し、蔦屋重三郎は黄表紙本などで痛烈な政治風刺を展開、発禁処分や財産半減などの処分を受けている。

[5] 山藤章二 : 風刺漫画家・イラストレーター。'76年より週刊朝日に世相を風刺する漫画『山藤章二のブラック・アングル』を連載。独特の似顔絵と切れ味の鋭い風刺で「週刊朝日を最終ページから開かせる男」の異名をとった。2024年逝去。

[6] 山下洋輔 : ジャズピアニスト。山下洋輔トリオを率いて世界のフリージャズシーンで活躍した。学生運動で封鎖中の早稲田大学でライブをやったり、ピアノを燃やしながら演奏するなど伝説は数多い。タモリを見出して上京させたという出会いのエピソードは有名。

[7] タモリ : 言わずと知れた『笑っていいとも!』『タモリ倶楽部』『ブラタモリ』などの番組の司会者だが、この当時は「イグアナのモノマネ」や「四カ国語麻雀」などを含む危険なお笑いネタで知られていた。OUTでは'79年2月号にインタビューが載っている。

[8] 筒井康隆 : SF小説家。ナンセンスで毒のある奇想小説・実験小説から幻想文学まで、多くの傑作がある。短編「残像に口紅を」が近年SNSで再発見されヒットした。

[9] 全日本冷やし中華愛好会 : 山下洋輔・筒井康隆・奥成達・平岡正明などによって'75年に結成された団体で略称は「全冷中」。冬に冷やし中華が食べられないことに憤慨した山下が周囲に呼びかけて結成し、さらにはタモリや赤塚不二夫なども加わった。活動内容は冷やし中華をネタにした政治・思想運動のパロディで、真面目・不真面目・パロディ・ジョークなどが入り乱れた一大ナンセンス集団となる。'77年と'78年には「冷やし中華祭り」と称した狂乱のイベントが行われた。

[10] 古谷徹インタビュー : 79年5月号「古谷徹さんと星・ヒューマニズムについて語り合った」。古谷の「OUTは最初の頃と傾向が変わってきたんじゃないですか?」という問いに、インタビュアーのTが「そうですね、最初は読者対象が大学生だったんですけど、今は中高生になってるんです。…中高生の方が数段パワーがあるんですね。どういうわけか、今は割と大学生というのがシラけてて、中高生の方が積極的に何かをしようという意欲があるみたいです。」と答えている。

[11] シラケ世代 : 50年代から60年代生まれの、政治的に無関心で、何においても熱くなりきれず興が醒めた傍観者のように振る舞う世代のことを指した言葉。

[12] ヤマトの裁判パロディ : 「古代君 気をつけて!」(うめぷろだくしょん)'77年9月号。沖田艦長を裁判長に、デスラーが検事として被告の古代の行動がおかしい、として糾弾するというストーリーの漫画。'78年11月号「不完全版OUT大事典」によれば「悪評フンプン」。この号では「貴方にもできるヤマトファッション」という記事で、どうすればヤマトのキャラクターの髪型にできるのかを解説したりもしている。

[13] ガンダムパロディ・ガンパロ : 80年4月号のガンダム特集Part2では、読者によるパロディ投稿コーナーについて「ガンパロパート2なのじゃ」と書いている。「アニメ・パロディ」という言葉は'80年7月号の特集で使われた。翌8月号でゆうきまさみの漫画の柱に「大反響ゆうきまさみアニパロマンガ」とあるのが「アニパロ」の初出か。

[14] 悩ましのアルティシア : 80年3月号に掲載された、『機動戦士ガンダム』のキャラクター、セイラさんのヌードイラストのポスター。すさまじい反響で同号は増刷をした。また衝撃を受けた読者から『悩ましのシャア』『悩ましのキシリア』などのヌードイラストの投稿が続々と送られてきた。

[15] シャアホイホイ : 80年11月号付録。ゴキブリホイホイに模した家の中にベッドがあり、半裸のセイラと縛られて半泣きのガルマの人形を置くと、ゴキブリ型のシャアが寄ってくる…というもの。なお「真面目なご注意!」として以下の注意書きがついている。「この『シャア・ホイホイ』は、あくまでお遊びフロクですので、実際のゴキブリ取りには絶対に使用しないで下さい。実際に使用されると、著作権法侵害によって、本誌の発売停止と回収が命じられます。これだけは本当です。」


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