元読者3人からなる「月刊OUT勝手連」が、当時の編集部員やライターなど、雑誌にかかわった方たちへのインタビューを通して、18年にわたる雑誌の歴史を振り返ります。
公開日:2025年12月21日
天童の蕎麦
大徳哲雄
列車の座席でうつらうつらしていて、ふと気がつくと、顔の横の曇ったガラス窓の向こうには、雪景色がひろがっていた。雪からの眩しい照り返しと、窓から伝わる冷気で、眠気はいっぺんに醒め、雪国の清々しさが頭の中の隅々にまで染みこんでくるようだった。
なぜか力押くんのことを思うたび、あの時、車窓から見た雪の光景が、僕の脳裏に、よみがえってくる。
「あの時」とは、力押くんに初めて会うため、列車で天童にひとり向かった時のことである。十四、五年前、僕がアウトの編集長をしていた頃のことだ。
もちろん、ただ彼に会いに行ったわけではない。
僕には、ひとつの目的があった。
その目的とは、力押くんに「本格的に漫画を描いてみる気はないか」もっと言えば「漫画家になる気はないか」ということを彼に直接会って話し、彼の率直な気持ちを聞き出し、場合によっては説得してみるということだった。
編集者になって僕はもう二十年以上になるけれども、そのような覚悟をもって人を訪ねていったのは、あとにもさきにも、あの時一度だけだ。
なぜそんな覚悟が必要だったのかと言えば、本人の望むところではない修羅の道に引っぱりこもう、という意図がそこにはあったからである。
力押くんが、彼のお父さんの跡を継ぎ、木工の仕事を生涯の職と定め、漫画家になるつもりはないことは、それまで何度も彼と電話で話をしていて、よくわかっていた。
しかし、である。力押くんほどの素材にはめったに出会えるものではない。磨けば必ず光る、と僕は確信していた。そして、彼が持っている素晴しい画力を単なる投稿者、あるいは趣味で漫画を描くといった同人誌レベルにとどめておくのは、いかにももったいないし、編集者としては、これを見逃すことは失態であるくらいに思っていたのである。
つまり、僕は彼に賭けてみたくなったのである。
「絵」というものは不思議なものである。絵がうまいとか、きれいだとかというだけでは、その絵に魅力があるとは限らないのだ。
実際、いわゆる絵のうまい描き手というのはゴマンといる。しかし、その絵を見た時、その描き手が誰であるかが直ぐわかる「個性」、そしてどこかで見たことがあるというのではない「独創性」、さらに見る者の心に訴えかけてくる「色気」が感じられなければ、本当に「いい絵」とはならない。また、困ったことに、そうした要素というのは、絵をたくさん描いたから、勉強したから備わるというものではなく、描き手の人間性や天性に由来するものなのだ。
力押くんの絵には、それがあった。
しかし「漫画」ということになると、さらにいくつかの要素が加わらなければ成立はしない。
「ストーリー」「世界観」「キャラクター」「コマ割」「テーマ」等々。ただこれらの要素は、ある種計算というか「技術」の問題であって、本人の努力次第で身に付けることができる。
だから僕は、力押くんに漫画を描いてみないかとすすめたのだ。彼は了解し、さっそく漫画の下書きを送ってきた。僕は、それを見て驚いた。
もちろん、まだ未熟な部分は多々あったけれども「漫画になっている」のだ。
そうして、アウト誌上で『鬼屋繁盛記』が始まったというわけである。
最大の問題は、力押くん自身から漫画を描こうとしたわけではなく、また、漫画家になろうと思っているわけではない、ということであった。
しかし、こればっかりは本人の意思の問題であり、ひとりの人間の人生を左右する重大事である以上、なまじの気持ちですすめることはできない。ただ、少しでも彼にその気持ちがあるのであれば、可能性は十分あると僕は考えたのだ。だから、僕は本人に直接会って気持ちを確かめたかったのである。
待ち合わせ場所は、たしか天童のホテルのロビーだったと思う。
やがて力押くんが現われた。
実際の力押くんの印象は、僕の想像した通りだった。
朴訥な人柄の底に芯の強さを感じさせる好青年であった。
「この人は、そう簡単には動かせない」と僕は直感した。
「そば粉百パーセントのうまい蕎麦屋があるので、そこに行きましょう」と力押くんが言い、僕は一軒のあまり見かけのパッとしない蕎麦屋に案内された。
自慢ではないけれど、僕は日本そば大好き人間、蕎麦通を自称する、いわゆる「蕎麦食い」である。蕎麦の味に関しては一家言あるのだ。 僕は、その店の蕎麦を食った。
凄い蕎麦だった。
十割そばなので香りが高いのはもちろんなのだが、そば粉以外の「つなぎ」をつかっていないのに、とにかくコシが強いのだ。荒々しいまでに野性的で、しかも当然、うまかった。あんな蕎麦を食べたのは初めてだった。おそらく全国の何処をさがしてもあんな蕎麦はほかにあるまい。
僕は「うまい!」を連発しながら食べていたと思う。
その後、力押くんと僕は、土産物屋に行った。
天童と言えば、将棋の駒で有名である。当然、店には将棋の駒がたくさん並べられていたが、それ以外にも様々な木工製品も多く置かれていた。力押くんの話によれば、天童と言えば将棋の駒で知られているが、昔と違い、今はそれだけではやっていけず、いろいろな木工製品を作っているということだった。彼のお父さんの作った将棋の駒や見事な木工製品を僕はいろいろと見せてもらった。しかし力押くん自身が作った木工製品を、その時見せてもらったかどうかは記憶が定かでない。たしか、彼はまだ修行中の身で、商品としてはまだ売ってはいないということだった、と思う。僕は彼の作った小箱を今でも大切に持っているが、おそらく、あれはその後彼から貰った物だと思う。いずれにせよ、木工職人として彼はまだ一人前ではなく、本人にその気さえあれば、漫画の道に進むことも出来る段階ではあったのだ。しかし、力押くんが熱心に木工の仕事について語っているのを聞いているうちに、彼が自分の父親を尊敬していることや、その仕事に情熱と誇りを抱いていることが、自然と僕に伝わってきたのだった。それだけに、僕はとうとう肝心の話を切り出せないうちに、その日は彼と別れたのである。
天童は温泉地としても有名だ。ホテルに戻った僕は、風呂につかりながら、いろいろと思いを巡らせた。
そして、その日食べた蕎麦の印象に重ね合わせて、結局こんな結論を自分なりに引き出したのだった。
「力押三五郎とは、あの天童の蕎麦のような存在なのではないか」と。
つまり、こういうことだ。素朴でありながらも香り高く、荒々しいまでにコシの強い、あの蕎麦の味は、野性的なまでに力強く、それでいながら品性のある力押くん絵の持ち味とぴったりと一致するのだ。だとすると、あの蕎麦の味を「薮」や「更科」や「砂場」といったような全国展開の暖簾にすることが可能であろうか。もちんそれは不可能であり、また、そんなことは考えない方がいい。力押三五郎という存在も、それと似たような才能としてとらえるべきではないか…。
だから今は、そっとしておいた方がいい、と僕は考えたのである。
次の日、僕は力押くんともう一度会ったものの、結局、説得はせずじまいで、彼と別れ天童から東京へと帰ったのであった。 それからしばらく経ってから、某大手出版社の大部数を誇る漫画誌の編集部から力押くんを紹介して欲しいという申し出を、僕は受けた。 一応、彼にはその話をしたが、やはり彼はその話を断った。
そして、約十数年の年月が流れた。
先日、力押くん、いや正確には吉田宏信くんの木工作品の展示会が東京で催されるので、覗いてみないかという誘いを受けた。
もちろん、僕は喜んでその展示会に足を運んだ。
あれから十数年、本職において彼がどんな成長を遂げているか、直接見て確かめたい気持ちもあったからである。
その日、彼の作った素晴しい木工作品をいくつも見て、僕は驚くと同時に、ある感慨にとらわれた。
「十数年で人の技量は、ここまで進歩するものなのか。だとすると、僕自身にとっての、この十数年は一体なんだったのだろうか?」と。
また、数々の賞を受けている彼の経歴も知り、久しぶりに会った彼の口から、木工の道の奥深さや、己の技量をさらに高めようする情熱が語られるのを聞き、「あの時、強引に漫画の道に引きずり込まなくて本当に良かった」と心底から僕は思ったのである。
そして、木工の道も漫画以上に修羅の道であることも、つくづく実感したのだった。
その力押くんが再び漫画の筆を執ったという。漫画は別に漫画家だけのものではない。プロであろうとなかろうと、そんなことは作品の価値とは全く無関係である。だから、どんな作品なのか僕は本当に楽しみだ。
最後に力押くんに一言。
「僕は、まだ完全に諦めたわけじゃないぜ」
樹想社も二〇〇〇年から、編集プロダクションとしての下請け仕事だけではなく、僕の以前からの夢だった出版事業を始めることになった。
僕は、今、すごく思っている。
「あの『天童の蕎麦』をもう一度食ってみたい」と…。
『HOOLIGANS』(福島OUT者企画発行、1999年) 特別寄稿より再掲
ここからは、月刊OUTでの連載後に発表された続編からの画像の抜粋です。
鬼屋繁盛記(1995)
同人誌『FREAK OUT Vol.2』(1995年、月刊アウト復活委員会(仮)発行)より
鬼屋のメンバーたちも年齢を重ね、玉子ちゃん・ひな子ちゃんは美どりさんと共に居酒屋美どりを切り回しています。岩矢倉の息子・猛くんは高校生。湯の島サーキットでのダート・トラックに初出場で初勝利と、血筋の確かさを見せます。そこにドクター・ガービィや娘のカーミラ、キングストンにホープなどの懐かしい面々が登場し…。この先の展開が描かれなかったのが惜しい!
HOOLIGANS(1999)
力押し三五郎個人誌『HOOLIGANS』(1999年、福島OUT者企画発行)より
『HOOLIGANS』は散発的に続編が描かれており、ここでは警視庁公安部・政治結社・武器密輸業者・ハッカー・テロリストなどなどと仙台都市警の熾烈な闘いが展開します。情報戦とラストのアクションシーンも見どころです。
HOOLIGANS(2005)
同人CD-ROM『HOOLIGANS』(2005年、アウト者山形県人会発行)より
こちらは上の福島OUT者企画版の後日譚。大手武器密輸組織と経済産業保安局、仙台都市警のそれぞれの思惑が絡み合った複雑な駆け引きが繰り広げられます。